
朝、キュウリの畝を見回ると、上部の支柱に一匹のカタツムリが張りついていた。
カタツムリという生き物は、つまるところ水の化身である。
軟体部が湿っていなければ生きていけない。
乾燥の季節には物陰へ潜り込み、身体を殻の奥深くへ引っ込めて殻口を封鎖する。
エピフラムと呼ばれる膜を張るのである。
石灰質を含むその薄膜には微細な穴があり、息だけは通す。
乾けばセロファンか古い障子紙のような質感となり、か弱い肉体を灼熱と乾燥から守る。
ところが、この一匹は様子が違った。
太陽は容赦なく照りつけている。
支柱は熱を帯び、影らしい影もない。
にもかかわらず、エピフラムを張る気配はなく、殻から頭を堂々とのぞかせている。
まるで露天風呂の湯にでも浸かっている隠居老人のような落ち着き払った風情である。
乾燥に強い特異体質なのか。
あるいは世の中をなめきっているのか。
カタツムリの天敵は驚くほど多い。
鳥、ヤマネズミ、イタチ、アナグマ、タヌキ、イノシシ、トカゲ、カエル。
見渡せば敵だらけである。
本来なら夜陰にまぎれて活動し、昼間は落ち葉の裏や湿った物陰にひそむ。
雨の日か、その直後にしか姿を見せないともいう。
たしかに昨夜は雨だった。
だが、それにしても無防備ではないか。
支柱の頂に陣取り、頭をしっかりと突き出し、一歩たりとも退く様子がない。
微動だにしないその姿には、どこか王者めいた風格さえ漂う。
敵の存在など承知のうえで、「来るなら来い」と言っているようにも見える。
カタツムリの食性は案外幅広い。
生葉や枯葉はもちろん、分解の進んだ植物遺骸、菌類まで口にする。
中には同族を捕食する肉食種さえいるという。
ふとキュウリを見ると、乾いた葉がそこかしこに散っていた。
なるほど。
昨夜の雨上がりにたらふく朝食を済ませたのかもしれない。
腹は満ち、危険を忘れ、いまは昼寝の最中なのではないか。
試しにカメラを向ける。
すると彼は、こちらの気配を察したらしく、首を二、三度ゆっくりと振った。
「おい、人間。昼寝の邪魔をするな」
そう言いたげである。
その後、彼はまた何事もなかったように動き出した。
急ぐでもなく、慌てるでもなく。
真夏の太陽の下で。
世界中の天敵を相手にしながら。
たった一匹のカタツムリが、ひどく悠然と生きていた。




